削闘剣とは、未熟者の詭弁である。




            削闘剣・不殺剣などと申す輩は、自らの努力不足と豪胆ではない己の性格を露呈している。



            何時の時代の誰が、削闘剣・不殺剣などと言ったかは定かではないが、上遠野伊豆守高秀の撃ち針術は、

           一撃即死の必殺のものであったことは確かなようだ。実力本位の戦国時代、上遠野高秀は撃ち針の技を以っ

           て武功高き誉れの武将であり、その高秀が伊達政宗直々のお声掛りで臣下となった事は歴史の事実である。

           現代人である我々が武術を語る前に、先ず、戦国の武術がどれ程のレベルに有ったかを良く知るべきである。

           削闘剣・不殺剣などと言い出した輩は、おそらく、手裏剣術を徹底して修行するよりも、武術談義を楽しむ評

           論家的立場の者であったと推測しております。(自分は出来ないが、武術談義の中で達人気分に浸るのです)

           職業上不可避的な条件で武術修行をする者と、本業の傍ら道楽で武術を齧る者の絶望的技術格差ですな。

           と言うことで・・・・・・・、

           削闘剣と必殺剣の分かれ目は「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」ですね。結局は度胸の有る無しに掛かる

           問題です。そうした前提のもとに・・・・・・・、それが重量のある手裏剣では無く撃ち針であったとしても、数間先

           で飛び跳ねる寸的を自在に撃てるまで技量が上達していて、なお且つ、1センチ以上の杉板を確実に貫通出来

           るほどの威力になっていれば、然程のことも無く眼底骨を打ち抜く事が出来る筈です。従ってそうした技量に達

           しているならば、その人は、決して削闘剣・不殺剣などとは言わなくなる事だと思います。


            補足:撃ち針を用いて一撃即死と書いたは伝承をそのまま引用したものであるが、眼球を矢で射られて失明だけで済んだ事の方が
                多かったのは、幾多の戦いの歴史の中で語り継がれて来たことでもある。矢の勢い
射入角度、鏃の形状と太さの相違等々
                の条件に依って、矢傷を受けた者の生死が異なっただろうと思います。・・・・・そこで、撃ち針に限って何故そうであったのかと
                考えて見ると、眼球の真後ろには上眼窩裂という頭蓋腔(脳の収まっている空洞)に通じる裂隙があって
そこは鏃の様な太さ
                ある物体の進入を阻止するに充分な強度と構造に出来ているが
極めて細身の撃ち針という条件なら頭蓋腔到達の可能性は
                充分にある様です。但し、私自身人体実験したことはありません
                (バス釣り仲間だった解剖学に詳しい友人からのアドバイスを参考にしました)






           [間合い二間三寸的、日下流撃ち針使用]



           
                                                             2008.07.14(月)
           OG氏の寸的命中率、八月四日現在70パーセント強です。

           左が一寸的です。
           




           上遠野高秀ほどの撃ち針術の名人となれば、撃ち針だけで事足りたのだと思います。大きなサイズの手裏剣の

           必要性は、まったく無かったのでしょうね。記憶は定かではありませんが、以前、上遠野流手裏剣と称する大振

           りの手裏剣図を見たことがあります。・・・・・しかし、それは怪しいものだと私個人は今でも思っています。上遠野

           流の流れを汲む流派であると称する手裏剣術流派があるとしたなら、先ず、甲冑を着用して撃ち針の妙技が使

           えないのであれば、それは上遠野流の名を謀る偽者です。

           謀り者は、昔も今も絶えること無し!



        OG氏の命中精度を物語る動画


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          「松隣夜話」に、この様な記述が残されています。


           越前境宮野郷主中沢長兵衛、殊に豪強の士たり。信長より柴田修理を以って、様々手を入れ申さるるに依って、

           振方なく裏切の約束を致す。然るして松任の城主馬を絶し給ふ時も、肺肝を砕くと雖も、謙信衆手配違わぬ故、

           相窺うことを得ず。猶以て隠密に致しさらぬ振にて候ひけるを、謙信公、如何にしてか知召しけるにや、月迫に

           及び、歳末の御礼に、登城致しけるを召出され、童坊に後の戸を鎖させ、御腰物を抜放し、長兵衛脇差抜き

           上る所を討たせ給ふ。数月の御重病にて、御肉落ち、就中二十日以前より、御食事一向絶ち給えば、御力も定

           めて落ち給い、御手足も叶ふまじく、危く見奉るの所に、思の外御身軽き事、鳥の様に見え給う。一の太刀にて、

           肘の懸りをふつと斬つて落され二の太刀を以って、高紐の辺を横手切に、露も懸けず、三つに切つて離し給ふ。

           見る人、肝を消さぬはなし。即ち中条五郎右衛門・苦桃伊織に仰付けられ、中沢共の者五十余人、御坪の内に

          
於て之を切害す。中条五郎右衛門疵を蒙る。苦桃衆・中条衆九人まで討たれ、片時の間に之を尽す。殊更見物

           目覚めたるは、苦桃伊織家来浄真といふ者、小太刀を以って走り回り、総て七人まで敵を討つに、皆余の所に切

           る事なし。一の腕・二の腕・高肘・手の首、一分も志す所を誤たず。自身も髪面・太股、かすり手二箇所蒙る。稀代


           の達人なり。





           以上の記述から、剣術使いとして上杉謙信が尋常の腕でなかった事は理解出来るが、中でも、浄真という武士の、

           まるで心を持たない戦闘マシンの様な戦いぶりは、我々の様な現代人に想像も出来ないことである。特に、流血に

           臆病な戦後日本人にとっては尚更である。ましてや、平成板の間剣術に共通する足場の良い場所での姑息な剣術

           では、絶対に通用する筈は無い。刃と刃が火花を散らすような修羅場に在っては、敵の剛剣をまともに受け止める

           事態は良くあることで、非力な者はそのまま押し斬りに殺られてしまうものだ。中でも、示現流を良く遣う者の手口で、

           相手の鍔を狙い撃つやり方が有るが、私が経験したところでは、正眼に構えた木刀の鍔を撃たれて、右手親指の付

           け根を酷く腫らしたことがあります。そのとき感じたことは、鍔を撃たれたときの衝撃が、無意識の内にと言うよりも、

           本能的恐怖感を呼び起こすということでした。実戦慣れした示現流の使い手は、ハバキを切り刻むように切り込んで

           来るものだと聞かされたものです。刀の鍔を狙い撃ちに、本能的恐怖感を与え竦んで動きの鈍ったところを斬殺する。

           実際、田原坂の戦いで鎬がボロボロになった刀を見てみると成程な思います。本物の剣術使いとは、今さら榊原健吉

           を例に挙げるまでも無く、一様に筋骨逞しく節くれ立った手をしているものである。何故なら、鍛え上げられた人の身体

           と申すものは、日常的身体負荷に伴ってその様に変貌するからです。

         ∴水泳の選手・柔道家・レスラー・競輪の選手・力士、サッカーの選手、等々、自ずとその道に順応した体付きへと変貌

           して行くものです。昔語りに聞く剣術使いの外貌も、心得のある者の目には一目瞭然であったそうです。







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