指導者 指導者とは 指導者の責任 指導者のあり方 指導者の方針 指導者の役割 指導的立場
  
命中か失中したかは、手離れの寸前に感知できること、




   私が二十代の頃は、スキート射撃(1ラウンド、クレー25枚)で23枚から24枚を撃っていたものです。

  私の愛銃は、ガスオートよりも格段に優れた連射性能のReM870レピーターで、実猟となれば足元から飛

  び出したコジュケイや鶉などは、視認すると同時に撃ち落とすという、典型的なスナップシューターでした。


    ところが、射獲した獲物はクジャクジャになっていて剥製にも食用にもならないといった有様でした。猟友には「ベレッタのインストラクー並み
   
   の
速さだなぁー」などと冷やかされたものです。それが20メーター以上の射撃距離となる極端に射撃精度が低下するのですから私はやは

   り、典型的スナップシューターなのでしょう。HPでは出しませんが、私が製作した指導用動画には、銃を教材にして撮影したものもあります


  また、アーチェリーや和弓などに入れ込んだ時期もありました。そうした経験から言えることですが、飛翔する

  クレーを追って銃をスィングさせて引き金を引く瞬間にも、失中か命中かの判断は、撃鉄が落ちる寸前に済ま

  されているものなのです。それはアーチェリーや弓術に於いても全く同じことが言えて、指先が弓弦から離れる

  寸前に矢が的に当たるか当たらないかまで分かるものなのです。

  手裏剣術にあってもそれは共通していて、ある程度打剣と言うものが理解出来ている手裏剣撃ちならば、手離

  れの寸前に打剣の良し悪しは同時進行で理解出来ている筈です。しかし、そうした感覚が芽生えて来るまでに

  は時間が掛かると、ここに前以て申して置くことに致します。

  柔道・相撲・空手・ボクシング・テニス・卓球・野球・囲碁・将棋、バレー等々・・・・、営業マンの業績が、履き潰

  した靴の数に正比例する様に、手裏剣術もまた、稽古量こそが全てなのです。

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OG氏特別寄稿文


打剣と同時に何が良くて何が悪かったのか分かっちゃってますんで、的の間を往復するのにクドクド考えなが

ら、モタモタとした足取りで歩いたのでは、それこそ本当に時間の無駄です。打剣数を増やすが勝ちです。

  

謹啓

連日の雨で打剣練習が出来ませんでしたので、○○先生の動画でフォームの勉強をしてましたが改めて先生の
剣の加速には驚かされました。ところで、私の一日の打剣本数と練習時間を数えましたところ、4本打ち・3間〜
4間半で1分間で12本、かなりゆっくりでも8本つまり10分で120本ゆっくりでも80本位のペースです。時間は
1時間半から2時間位なので1000本以上は休憩を入れても打っている計算です。一般的に思われるほど100
0本打つのは大変な練習ではないです。気が付いたら1000本になっていたくらいのことでしょう。ですから100
本・200本の練習なんかは体より口ばかり動かすようですね。
                                                       OG 拝   謹言




  四間間合い標的撃ち動画、70匁剣を使用しました。

  
                                               2008.04.27(日)

   
  ストライクを置きに行ってる打剣ですから、剣速が遅いのは止む無しとしても、OG氏なりに力を抜いた打剣

  をと心掛けていたのでしょう。しかし、
右膝が伸び切ってしまって居るので、全体の流れを司る膝の弾力性が

  全く失われてしまっているのである。都合の悪いことには、それが直接の引き金となって、体重心を落下させ

  た円滑な打剣になっていないのである。真の意味での手裏剣術の入口は、OG氏が今立つ所から始まります。


  手裏剣術初心者だったOGが稽古を始めてから、一年十ヶ月になろうとしています。今日の手裏剣術界に於い

  てOG氏に比肩するほどの撃ち手は、果たしてどれほど居るものでしょうか?・・・私の知る限りに於いては、そう

  ざらに居ると言うレベルのものでは無いと思っています。OG氏が志の低い手裏剣愛好家ならば、自己満足の

  余勢を駆り、You Tube等で己の打剣動画を世界中に撒き散らしていたことでしょうが、彼はそうした事を一切

  歯牙
にも掛けません。彼が目標とする山の頂は、私が想像する以上に高いのだろうと思います。




自己流手裏剣術とは、行く宛てを知らない旅にも似て、
足元が定まらず、結果的に漂流する事の方が多いです。


自己流で手裏剣術を自得しようとする限り、それは全くの手探り状態から始める訳ですから、どうしても、既成の

手裏剣術流派の「良いとこ取り」から始めることになります。そうした「ゴッチャ混ぜ稽古」を通して刺中率が満足

と感じられるレベルに到達するまでには相当な時間を費やすこととなるでしょう。しかし、そうして得られたものの

大概は、草野球の投手とプロ野球投手程の差が有るものです。例えるなら、「登山マップを持たずして厳寒の奥

穂高に挑むようなもの」と言うべきでしょう。兎に角、手裏剣術と言う山は、行けども行けども山の頂が見えて来

ないものなのです。



また、手裏剣術指導者の有り方と申すものは・・・・、

指導者である限り、打剣の良し悪しの何であるかを熟知していなければ、指導者たる資格の欠落者と言うべきで

ある。直接指導を受けて居る者が真面目に稽古しているのにも関わらず、二年も経っていて四間間合い尺的刺中

率が五割にも満たないというのであれば、それに関わった指導者は、時間と金銭的損害を与えた加害者と言うこ

とになるのです。的に突き刺さっている剣の状態から多くを推理判別出来なければ、指導者の資格は全くゼロと言

うことになります。また、指導を受ける者の身体的特性を十二分に把握して、それぞれの個性に応じた指導方法で

対処出来る能力を兼ね備えていなければなりませんね。

(ここで自己弁護の予防線=ゼロでは無いゼロに近い私です)








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