招運来福 千客万来



     
                                             賢誉大僧正直筆 慶長大黒公図




  本年も宜しくお願い致します。

  
平成二十年一月 元旦     後藤流古武術 近江 吉継






平成十九年、終わりの日を迎えて、



先ずは、当サイトを訪ねて下さいましたお客様に対して、改めて感謝の意を表する次第であります。



当サイトの開設日は2005年(平成15年)1月15日、明日からは三年目の歳を迎えることとなりますが、

私どもが特に固執するところの後藤氏伝承の復元、つまり、実験考古学的な技の再現と言うことに

関して、実に得るところの多い平成十九年でありました。


思い返せば、私が稽古三昧に明け暮れている当時、今日私たちが普段手にしているビデオ・カメラ

も無ければ、デジタル・カメラも無いという状況でしたから、私自身がどのような打剣をしていたかを

映像として記録することが出来ず、其れが為に、客観的視野に立ったところの打剣フォームの解析

という難事業に着手出来ずに居りました。当サイトを開設してから一年ほどは、インターネット指導

のマニアルが確立されておりませんでしたから、会員の皆様には非常に多くの迷惑をお掛けしたと、

今も慙愧の思いは消えることはありません。


そうした中にあって最も頭を痛めたことは、負傷事故の耐えない、平野伝承剣の跳ね返りによる危

険性の解決でありました。(真剣使用に拘る会員の方ばかりですから・・・・・)

平野傅投剣術にとって最大の幸運は、F氏と出会えたと言うことだと思います。彼の発想による油

粘土の的は、手裏剣術の歴史を通じて革命的なものであると、私は、誰憚ること無く断言できます。


特に、平野傅投剣術の基礎を身に付けねばならない一年間の正座稽古の期間に在って、F氏発明

の油粘土標的は、打剣技術の練磨に伴った「負傷事故の排除」という最大の貢献をしてくれました。


後藤翁に口酸っぱく言われていた、一年間の正座撃ちの効用が私の経験ではなく、会員の方の実

体験として証明されたことは、偏にF氏の油粘土標的あってのことだと思います。このページを借り、

改めてF氏に最大限の敬意を表します。それから、犠牲的精神で以って動画出演に協力して下さい

ました会員諸氏に、改めて感謝を表すものであります。(手裏剣術初心者が、時系列で進化の道を

辿って行く、そうしたことが、他の手裏剣術修行者にとっても有用な技術参考資料となっています)


「百聞は一見に如かず」と申しますが、動画と申すものは実に説得性に富んだものであり、私が仄

聞するところ、日本ばかりでなく、海外の手裏剣術愛好家の方々も、OG氏・N氏・I氏の動画を参考

にしているとのことです。そうした平成十九年の師走、・・・・武士の時代にあって「両手使いの手裏

剣撃ちは
千人の内の二人か三人」と言われた両手撃ちが、平成の手裏剣術界の今日を拝見しま

すと、実に多くの方々が「両手撃ち」に関心を向けられている様です。

私自身としての実感ですが、そうした人達の存在があること、真実、嬉しい事だと思いますね・・・・。


さて、OG氏の動画をご覧の方ならばご承知でしょうが、立ち撃ちの段階へとステップアップするに伴

って、更なる課題である操刀術の修得が必須のものとなって来ます。

平野傳打法の肘の動きは、刀術で言うところの片手斬りの肘使いと全く同一で、打剣も斬撃も違和

感無く一体化していて、人間が固有の身体運動の仕組みに順化しているものと断定できます。


ところで、力量が伯仲した者同士が刀を手にして斬り合った場合、火花を散らして交差する物打ちに

は、400Kg以上の衝撃が発生することになりますが、そうした衝撃を持ち堪えるには、示現流に見

られる「立ち木打ち」や、それに類似した打ち込み稽古を常の稽古とする以外に、良い術はありませ

ん。(軟弱化が遍くこの時代、打ち込みを重視する希少な指導者も居られる様です)

剣術に型稽古は不可欠なものですが、打ち込み稽古を軽視する様な剣術は、戊辰戦争や西南戦争

で露見した如く、全くの「役立たず」と言う結果になるのです。高一の昔でしたが、溝口派一刀流をや

って居られた方に、西南戦争で使用されたという刀を見せて頂いた事がありますが、右の鎬地を鍔

先一尺ばかりの所から深く切り削がれていて、勢い余った刃が鍔の表に1ミリほど食い込んだという

跡が残されていました。打ち込みを軽視する者の手にある刀などは、打ち落とされるか巻き落とされ

かして、結果、己の惨めな屍を曝す事になるのです。


後藤傳では、打ち込み稽古で身体を造ってから剣術の師を選べと有りますが、私は良師に出遭える

ことも無く今日に到って居ります。



と言うことで・・・・・・・・・、

年明け早々には、戦国の時代に普遍されていた鍛錬方法で、この稽古さえしていれば、即刻戦場

に駆け付けて働けるという伝承を再現したものを、動画にして公開する予定です。


西南の役最大の激戦地、田原坂の戦いで薩摩示現流を圧倒した警視庁抜刀隊には、戊辰戦争の

復讐を果たそうとの執念から、数多くの旧会津藩士が加わっていたと記録には残されています。

薩摩示現流を圧倒した旧会津藩士等の凄まじい剣風が、如何なる鍛錬の中から生まれたものなの

か?  そうした荒稽古の中の一部を紹介します。


抜刀隊を検索していて見付けました。音量を下げてアクセスして下さい。
http://www.uranus.dti.ne.jp/~blade/Battoutai/Battoutai.htm








平成二十年のご来訪、心機一転で歓迎致します。


平成十九年十二月三十一日

後藤流古武術・平野傅投剣術          近江 吉継   記す









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