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        「後藤流古武術」
          平野傳投剣術へようこそ!!

           私が当HPを開設した頃、平野甚右衛門さんをインターネット検索すると、出て来たページは
          たったの1ページという実にお寒い状況でした。ところが今日では、60ページを超える濃密な
          資料源へと一変して居ります。
         


平野傅投剣術に於ける私の在り方とは・・・・・、


 
人の世の奇縁と言うものによって、偶然『平野傅」の後継者となった私は、今日まで

只一途に、伝承の技の復元に尽力して来ました。先ず始めに着手したのは伝承剣の

復元、そして打法の習熟等々。そうした諸々の試行錯誤の日月を経、私独自の評価

基準ではありますが、及第点と判断した時点で当サイトに公開した次第です。そうした

私に今日残された課題は伝承剣の遠射性能の極限を知ることです幸い傑出した後

継者の縁に恵まれましたので、私の代で為しえなかった事を託することと致しました。

                                      2007年5月14日(月)

                 埼玉県鴻巣市住人           近江吉継

後記:伝承剣の遠射性能に関する記述ですが、小川氏の果敢な試みにより、70匁剣を使用した
十二間合い打剣で、畳の的に20%の確率で刺中することが出来ました。その様な状態はマグレ
刺中に近いものであって、それは、直径1メートル圏内的中と云う有様でした。従って、実戦目的
と捉えた場合、到底信頼出来る精度ではないと感じました。遠射に目標を据えて稽古するならば、
実用的なレベルまで向上することは分かっておりますが、平野傳は近接間合いの打剣が全てで
ありますから、ここは、当初私が好奇心で知りたいと思っていた伝承剣の遠射性能が判別したこ
とで、当該テーマは、これにて完結と云う事にさせて頂きます。          2010.03.10(水)




平野傅投剣術概略


 平野傳投剣術は、織田信長の家臣であった平野甚右衛門によって上杉家・後藤

氏に傳えられたという由緒の手裏剣術です。 写真は
合戦拵え真剣で、目方は七十

匁(262グラム)
百匁(375グラム)四十匁(150グラム)の三種類があり、剣柄に

さざら仕上
という古式加工法の滑り止めが施されていて、産毛が剃れるほど鋭

利な『切っ先両刃造り』となっています。



写真は七十匁と百匁仕様の「合戦拵え真剣」です。(他に40匁剣も有ります)
 百匁=375g   七十匁 260g   四十匁=150g


                          なんば
 合戦拵え真剣を用いて敵に肉薄、俗に言う難波歩きの足運びから双手投
                      さんな 
法で続けざまに剣を撃ち込む!狙うは三穴(眼・鼻・口)である。また、故意

に回転を加え剣の側面で相手に打撃を加える技もあります。(横撃ちと言い

ます
)重量があるだけに、その打撃力・破壊力は相当なものです。

百匁の剣が「兜撃ち」です。百匁の剣を投じて敵将の兜を撃ち抜いたことか

ら、甚右衛門が自ら「兜撃ち」と銘々したと言われているものです。また甚右

衛門は百匁の剣を投げ撃って、三十間(54m)先の敵兵の顔面を撃ち砕い

たと伝えられています


 合戦拵え真剣
は、ジーンズ生地六枚を切り裂いて豚アバラ肉三枚をあっさ

りと貫く威力を秘めている。 プロ野球の硬式球の重量は138グラム、真剣

の重量は70匁(262.5グラム)である。時速・100Kmで真剣が人体を直

撃したとしたならば、そのダメージはどうであろうか? ・・・それに関しては賢

明な読者諸氏のご推察に委ねることにします。

 合戦拵え真剣は肉を切り裂き、そして血管・神経組織・腱を両断し、時とし

骨までも切り裂く代物です。敵に肉迫して必殺の打ち込みを敢行する。

そこにこそ平野傳投剣術の真骨頂があるものと私は信じています。だからと

言って遠射を否定するものではありません。そうした能力も絶対に必要だか

らです。それどころか遠射稽古には絶大な効用があります。稽古することに

よって身体能力は強化され、その結果剣の速度は飛躍的に増大し命中精度

も著しく向上する。遠射稽古(遠間撃ち・トオマウチ)は術者必須のものです。

間合い四間、一尺的命中率70パーセント以上が合格基準です。平野傳投剣

術に於いては、的に突き刺さろうと刺さるまいと、まず的に当てることが最優

先なのです。 剣が的外れに突き刺さって 「惜しかったねぇ」 などと評価され

ることはありません。絶対必中以外にありえないのです。

 斯く言う私の技量はどれほどのレベルにあるものか、いまもって分かりませ

ん。昭和の名人とか達人とか言われている人達の映像を拝見したことがあり

ますが、昔は「名人などといわれても、こんなものか! 」 と正直に思ったもの

です。 しかし自分がこの年になってみて「衆人環視の前で、よくもあれほどま

で淡々として撃てるものだ!」と、そのように感じ入っております。

 私の例を挙げれば、信じられないほどに己の技が冴えて、続けざまに放っ

た剣の六本すべてが「 的のど真ん中に深々と突き刺さる」という状況が幾度

か繰り返す時があります。

 そうしたときに、まるで眠りから覚めたかのように自分の今の状況というも

のに気づくのです。 無意識のうちに身体だけが動いていたのでしょうね。な

ぜそうなるのか私には分かりませんか゛、何か分からぬものの緊縛から解き

放たれたような心理状態であったことは確かです。私が思うに、名人上手と

言われるような人達はそうした心理状態にいつでも身を置くことが出来るので

はないでしょうか。

 正直言って私はあがり症ですので、人目のあるところでの演武がどうも苦

手です。




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