自己流で手裏剣術は出来ますか?



   自己流で手裏剣術は出来ますか? との質問が時として寄せられますが・・・・・・、

  そうした質問に接する度に、私は以下の様に返答する事にして居ります。

  「はい!出来ますよ。だって手裏剣術の創始者も元々は自己流だったのですから」・・・・と、



   どうしても自己流に拘ると言うことであれば・・・・・・・・、

   将棋からピアノ演奏、そしてゴルフやテニスにパスケットボール、それからサッカーに空手及

  びボクシング、それに書道や絵画等々、そうしたものは全て自己流で修得出来ます。


  ですから、自己流で満足できると言う人の場合に限っては、結局それが最良の選択なのです。


  とは言っても・・・・・・、

  手裏剣術初心者の皆さんが如何に自己流であると申しても、何らかの手裏剣術関連資料を参考に

  するという前提がありますから、そこに完全な自己流というものは成立しないことは明らかです。

  そうした自己流手裏剣術修行者が自得の稽古を選択する限りにおいて、そこに継続する熱意さえ

  あれば、2〜3年の稽古でも充分に4〜5間間合い程度の尺的刺中も可能な筈です。


   しかしながら、的に突き刺さった剣の状態を見て打剣者の何が良くて何が悪いのかを詳細に分析出来る

   者は、私の知る限りに於いて、今日、殆どと言って良いほどに存在して居りません。


   と言う訳で・・・・・・、

   手裏剣術界のレベルがその様な状況にありますから、熱意ある手裏剣術初心者が的に突き刺さったこと

   に満足してしまい、その見掛け上の表層現象に幻惑された余り、手裏剣術の本質に到達出来ないと言う

   結果を辿ることの方が多いのです。その一例として申しますが、NETで見た故・某手裏剣術宗家のDVD

   動画を見た限りでは、身体の軸が完全に左に傾斜して居り、結果、手の送りが左側に過度に成って居た

   のでした。そうした場合、右利きの撃ち手ならば、剣尾は右に倒れ様に傾き刺中することとなります。

   (宗家を名乗るだけあって、手の振り下ろしから抜剣のタイミングには確かなものがありました)



  さて・・・・・、自己流にこだわる限りどうしても限界が見えてきます。

  その一例として、自己流の登山技術では、登れる山も極めて限定されたものとなる様に、一個人

  が自己流で身に付けた技術と申すものは、先駆者が数世代に渡って蓄積してきた技術の領域には

  到底及ばないのが通例です。




   極限にまで集約された最小の打剣フォームで以って、最も強力な威力ある剣を発射すること。

  そして尚且つ、日本伝統武術の身体運用に符合した手裏剣術であるならば、残心の形を維持

  できる打法であって、また、術理体系も解剖学的領域にまで踏み込んで居なければ成りません。

 

  注:但し忍法系の手裏剣術にあっては、
残心はこの限りに非ずです。

  





                                 2007.12.17(月)







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