朝に三千,夜には八千


「朝に三千、夜には八千」とは・・・・・・、

往時の示現流修行者が、立ち木撃ちの心得として残した言葉である。



『理屈を並べている暇があるならば、その時間を立ち木撃ちに費やしなさい、そうすれば確実に上達しますよ』

単純極まりない反復の際限ない繰り返しの中にこそ、真理があるものだという古くからの諭しです。



ほんの少し齧った位で、さも分かった様な理屈を並べると、薩摩人の常套句「理屈を言うな!」の一喝を浴びるでしょう。薩摩の国に於いては、

理屈ばかり達者な者は「男の屑」と見做され、それよりも地道にコツコツと汗を流している寡黙な人間の方が、世の評価は格段に高いです。

ちなみに、今日の鹿児島県人に向かって「理屈を言うな!」と言ったとしたならば、十中八九、感情的対応になること間違いないです。

                                                            2008.01.24()




平野傅投剣術に残る、忘れ去られた古の打法



     日下流40匁八角棒手裏剣(150グラム)

        

                        ↑

  巷間に残された手裏剣術の書物には、この画像の剣に酷似した手裏剣の図が必ずと言って良いほど載って

  いるものです。しかし今日に於いて、画像にある剣の様に剣尾を絞ったタイプの剣を正式のものとしている流

  派は、当流を除いて他に存在していないと言うのが実情です。他に剣尾を絞った剣が無いではありませんが、

  そうしたものは、剣尾に巻き物付きや風切り羽を設けるなど、平野傳のものとはまったく異なった打法を用い

  る為の造りになっています。打剣時に剣軸がブレルこと無く安定した高速飛行を実現する為に、巻物構造の

  剣は絶対的に不利であって、それをスキーの滑空競技に例えるならば、ジャンプ台に異物を置いている様な

  ものということになります。異物の上にスキーを乗り上げたとしたら、滑走者がバランスを崩すことは明白です。

  それと同じことで、打剣動作の過程で剣が掌中を滑走している最中、剣尾の異物突起が指関節の表皮に勢い

  良く接触することは避けられません。結局、それに因って剣が激しくバウンドすると言う現象が生じるのです。


  確かなことは、剣軸がブレることなく高速で剣を発射するための条件とは、極限の速さで腕を振ることの出来る

  打法と、剣尾に異物突起の無い構造の剣であると言う事に尽きるでしょう。
 
  尤も、高速打剣に拘らなければこの限りにあらずと言うことになりますが・・・・・・。


  画像にある八角棒手裏剣が有する特性を存分に生かす為には、剣尾まで完全に滑走させることの出来る打

  法であるところの、完全滑走打法の習得が絶対不可避となります。直打滑走打法を用いて打剣した場合、手

  の振りが速くなればなるほど剣はより一層前傾した姿勢で的に向かって飛んで行きます。しかし、そうした打

  剣技術が身に付くまでには、他の打法の習得と比較して根気と時間が掛かり過ぎるという制約を免れることは

  出来ません。多くのスポーツの基本が『確立された正しいフォームの習得』である様に、手裏剣術もまた正し

  い打剣フォームの習得こそ、手裏剣術上達の為の真の近道なのです。




平野傳・定寸四十匁剣  (全長210mm 重量150g)
刃先を水平に寝かせて完全滑走打法で打剣すると、刃先は水平角度を維持したままで刺中します。刃先を垂直にして打剣した場合、刃先は
その角度を維持した状態で刺中します。ちなみに
刃先を水平にして打剣した事例では、歩測40歩の地表に約50度の角度で刺中しました。
そうした長距離打剣となると、打法の他に、手裏剣には新たな滑空性能という形状要求が不可避となってきます。※一歩は約75cm。



 平野傳滑走打法稽古の初期段階に於いては、極めて単純な本撃ち、つまり、上段からの振り下ろしに終始しま

 すが、次なる段階では切り落としから突き込み操作などへの高度なテクニックへとステップアップして行きます。

 私が愚考するところ、完全滑走打法というものが世に忘れ去られることになった原因は、流儀の秘伝として秘匿

 されて来た以外に、恐らくは、そうした技術習得の困難さと言うころにあったのかも知れません。そして、ここで言

 うところの高速打剣とは、実用間合い三間間合い以下での打剣であると言う意味です。      2007.10.27(土)  




「平野傅投剣術を学ぶ為の心得」


動画の解説。


平野傳打法『三本の止め』の型です。右手による「片手ふたつの撃ち」で二連打し、三本目で止めを入れると言う動きになっています。


                                                 2007.09.09

謹啓

室内用の的場の底板5cmも大穴が空きました。


『雨滴、巌も穿つ!』 何事も日々コツコツと積み重ねることが大事で、武術もそれしかないと思いました。

楽に出来ます。簡単に上達します。といった甘言で人の興味を引きインスタントな技術しかない者とは根本的に

目指す山
が違うといったところでしょう。アケビの枝も採ってきたので乾燥したら立ち木も作って刀の打ち込みも

始めたいと思います。
私のような凡人に要領は要りません。ただ日々の鍛錬があるだけです。

                                                             OG
  拝 


                                                 2006.06.24


老婆心ながら一言・・・・・。


空手の例えに『巻き藁三年』というものがあります。巻き藁を三年打ち続けて技にキレが出てくるという意味です。

こうしたことはボクシングのサンドバック打ち、剣術の素振りや立ち木撃ちに於いても、また然りです。手裏剣術

ならば、何とか思った所に刺中出来る様になってから三年ということになりますかね・・・・・・。

それにしても、「拳ダコの無い自称現役空手家」は数多いますね。『巻き藁突き』は空手の命です。石の様に鍛

えられた拳があってこそ、空手の技が命を持ってくる訳ですから・・・・・・・。


※老婆心ながらと言う形容は、年長者が年少者に対して用いる表現法なのです。




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